お知らせ

養翠園

養翠園ようすいえん庭園は紀州徳川家第十代藩主徳川治宝により造営された松を主体とした約33,000㎡におよぶ大名庭園です。池は海水を取り入れた汐入りの池で全国的には珍しく、四季折々の花木が訪れる人々に季節を感じさせます。庭園には御茶屋、養翠亭があり、茶室・実際庵(二畳台目)や左斜め登り御廊下など貴重な遺構が保存されております。

養翠亭は平成3年より同6年かけての文化庁所管の全面解体修理により住時の姿を留めております。明治維新前までは55万5千石の大藩として、また御三家の一と誇った旧藩主の遺跡として旧地に旧状のままよく保存された庭園と建物で、文化財として国指定名勝の指定を受けています。

平成7年度にはNHK大河ドラマ「吉宗」のロケ地として庭園と建物で撮影が行われるなど様々なドラマや映画の聖地としても注目されています。四季折々に美しい花木が咲く姿をお楽しみください。

全般的な説明

「養翠園」は紀州徳川家第十代藩主 徳川 治寶 が隠居所であった西浜御殿からの清遊の場、外来者の接待の場、として1818年(文政元年)より8年ほどかけて造営した 大名庭園で、敷地面積約7,000坪あり、池が3,500坪あります。「養翠園」の命名は 三条 公修 公で「マツ」の「ミドリ」を「ヤシナウ」「ソノ」と言う意味です。ちなみに 三条 公修 公は明治の元勲 三条 実美 公の祖父にあたる方です。徳川 治寶 公が養翠園に来遊されるおりは、西浜御殿より船で出て大浦湾を経て、園内御船倉へ入り、庭園内へ直接上陸されます。御客様は駕籠にて、正門より来園されます。園内には殿様の休憩所を兼ねた築後190年たった御茶屋「養翠亭」があります。

養翠園庭園について

養翠園庭園(庭園写真)(養翠園実測図)は池泉回遊式、船遊式、借景式の大名庭園で、大名庭園でありながら御茶を楽しむという目的のため花物は季節を知るためカキツバタ、アヤメ、アジサイ、ツバキ、等有りますが、現在の公園のように沢山の数はなく、松を主体とした庭園となっています。松は約1,100本あり、仕立ては「立華すかし」と言う手法で、下から上に持ち上げるような格好に仕立てられ、京風の仕立てと違い線の太い豪快な仕立て方法となっています。養翠園は大浦湾、水軒浜、の海浜に隣接していますが、庭園は海の景色を意図的に取り入れず、正面には天神山、側面には高積山、の山並みの景色を借景とし、海と山の対比を考えて作られています。又、海浜の特長を生かし、池は海水を取り入れた「汐入」で、2ケ所に樋門があり、潮位で変化のある池の水位を調整しています。池が海水のため、魚はイナ、ウナギ、ハゼ、など海と川の境目に生息する生物が沢山居ります。このような海水を取り入れた「汐入」大名庭園は現在、全国で「養翠園」と東京の将軍家のお庭であった「浜離宮庭園」の2ケ所だけです。庭園の景色は大きく2つに分けられ、三ッ橋、守護神島、太鼓橋、より東方は直線的な護岸壁を持つ西湖を模したと言われる中国的手法で作られ、護岸壁の直線と山の曲線の対比をよく考えて作られていると言われています。西方、建物寄りは曲線的な護岸壁を持った日本式手法で作られ、庭を周遊しながらその景色の変化を楽しむ構造となっています。