庭園と建物

養翠園ようすいえん庭園は紀州徳川家第十代藩主徳川治宝はるとみにより造営された松を主体とした約33,000㎡におよぶ大名庭園です。池は海水を取り入れた汐入りの池で全国的には珍しく、四季折々の花木が訪れる人々に季節を感じさせます。庭園には御茶屋、養翠亭ようすいていがあり、茶室・実際庵じっさいあん(二畳台目)や左斜め登り御廊下ひだりななめのぼりごろうかなど貴重な遺構が保存されています。

潮入りの池しおいりのいけ
全国的にも珍しい海水を池に取り込んだ大名庭園です。この様式を汐入しおいりと呼び、園内に2ケ所ある水門を開閉することで、海水の量を調整できるようになっています。海水を取り入れているため、淡水と海水が混ざった汽水域に生息するイナやハゼ、ウナギ、さらにはカモなどの渡り鳥を見ることができます。

守護神島しゅごしんとう 
池の真ん中には島(守護神島)があり、稲荷社と弁天社が祭られています。
治宝候が水軒御用地すいけんごようちに訪れた際は必ず欠かさず参拝していたと伝えられている縁起の良い社です。社は宮司さんに依頼し、伏見稲荷からやってきたという伝承があります。三ツ橋と太鼓橋たいこばしで結ばれており毎年、旧二の午にお祭りを行っています。

太鼓橋たいこばし 
明治二十一年頃までは土橋でしたが、構造上脆く頻繁に架け替えないといけないので、現況のコンクリート造りになりました。中国杭州こうしゅう西湖蘇堤せいこそていをモチーフとした中国風のものであり、コンクリート建造物としては明治中期に掛け替えられた初期の物であり、非常に貴重な物です。 

三ツ橋みつはし 
中国の西湖を模したと言われる景観で、この堤より左が直線的な護岸をもった中国式の庭園、右が曲線的な護岸をもった日本式庭園となっています。


養翠亭ようすいてい

御座の間ござのま 
紀州徳川家第十代藩主徳川治宝が来遊されたおり、お座りになる座敷で、建物全体から観て最高所にあり、以下供周りに向かって各部屋一段づつ低くなっていきます。部屋全体を上げることによって、建物全体から観て上段の間に仕立てているのです。

実際庵じっさいあん
「御座の間」の西に隣接して和歌山県下最古の2畳台目茶室「実際庵」があります。 天保7年(1836)に編纂へんさんされた「西浜御殿御額鈔にしはまごてんおんがくしょう」に御数寄屋おすきや付属として大徳寺378世、無学宗衍むがくそうえん筆「実際庵」、表千家8世啐啄󠄁斎そったくさい筆「竹翠」の記述がありその内、啐啄󠄁斎筆「竹翠」は現存し保管されています。 茶室軒下に掲げられた痕跡も確認されています。この茶室は表千家、了々齋りょうりょうさい好みとされ、内部は床・2畳の茶室・1畳の次の間・1畳の勝手の間から形成される非常に小さな茶室です。

左斜め登り御廊下ひだりななめのぼりごろうか 
外来の御客様は、駕籠にて正門より来園され、養翠亭「御次座敷」で暫時休息された後、殿様の居られる「御座の間」へ案内されますが、「御次座敷」と「御座の間」を結ぶ渡り廊下が「左斜め御廊下」です。この渡り廊下は畳敷きで、左斜め上に振った特異な構造になっており、この為、畳や障子などは全部菱形になっています。この様な遺構は全国唯一の物です。

養翠亭ようすいてい
茶屋「養翠亭」は鬼瓦に「文政四年瓦屋久八きゅうはち」の線刻があり、総建坪94坪 、部屋数19室の建物で、藩主が使われた別荘建築として旧地に旧状のまま残る全国的に珍しい建物です。又、殿様が使われた部分だけではなく供周りまでほぼ完全に残されています。老朽化のため平成3年から平成6年にかけ全面解体修理を行い、往事の姿を留めています。内部には、和歌山県最古の茶室を二畳目に座らせた「実際庵」、建物全体から観て最高所にある「御座の間」、左斜め上に振った特異な構造になっている「左斜め登り御廊下」があります。

パンフレットはこちら